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 無理もない。二人は、年の近い一人っ子の男の子どうしで、互いに兄弟のような感情を抱き合っているらしかった。樋口が今日の留守番を引き受けたのも、そんな従兄弟どうし姉妹どうしの濃密な会話の中に、自分の居場所がないのをよく分かっていたからだ。それに、たまにはこうして自由きままな自分だけの時間を持つのも、あながち悪いことではないはずだった。
 何気ない樋口の手が、そこにある伏せたままの本に伸びる一一。
 読みかけのページがそこにあった。
 ついさっきまでこの畳に寝転んで、好きなフルートの演奏を聴きながら、のんびり読み耽っていたものだ。夕方までにこれを一冊読み終えて、今夜は直樹と風呂の中で、そこに書かれたいくつかの物語についてじっくり話をしてみるつもりだった。あの子もきっと目を輝かせて、父親に自分の感想などを話すに違いない。
 それが、知らぬ間に途中で……。
 こいつだな、夢の犯人は一一開いたまま癖の付いたページを、まだ完全には覚め切らぬ眼で樋口は見た。そこには『ハーメルンの笛吹き』と書かれたやや大きめのタイトル文字が、どこか取りすました顔で並んでいた。
 ああ、そうだ。この短い話を読み終えたところまでは、確かに覚えている……。
 やさしげな口調で語られる、恐ろしい復讐物語。そして、水底に映る陽光の揺らめきのような、マクサンス・ラリューのフルート一一。二つの甘い果実がいつか溶け合って、自分を眠りの淵へといざない、やがてあの奇妙な夢の中へと引き込んだのに違いなかった。
 樋口はふうと大きな溜め息を付きながら、もう一度その物語をパラパラと最初から捲り始めた。
 すぐに、少年の頃、学校の図書館で読んだ角のすり減った本の匂いが蘇ってきた。そしてどうじに、あの頃よく聞いた“人さらい”の噂と、誰かの足音に怯えた放課後の記憶が、どこかでゆっくり頭を持ち上げる。そういえば、人気のない黄昏の校庭は、たしかにこんな静かな時間に包まれていたっけ……。
〈なんということでしょう。ハーメルンの町はいまや、増えすぎた鼠たちによって占領されてしまいました。
 薄黒い雲のような、恐ろしい数の鼠の群れ一一。家々からあふれ、小路から小路を渡り歩く彼らは、まるでそこを自分たちの王国にでもしたように、町をすっぽりのみ込んでしまったのです。
 しかも、腹を空かした彼らは、次々と人間の食べ物をおそいました。パンもチーズもソーセージも、だいじにしまっていた小麦の袋さえも、食べ物という食べ物が鼠たちのえじきにされました。そしてあるときは、眠っていた人間の赤ん坊が、足をかじられるという騒ぎまでありました。こうなると猫さえも、彼らを恐れてどこかへ逃げ出すしまつです。
 町の人々は困り果てました。
「なんとかして下さいよ、町長さん」
「うーん、わしにそう言われてもなあ」
 町長もみけんにしわを寄せるばかりでした。
 そして額を集めてみんなで相談したあげく、とうとう苦しまぎれにこんなお触れを出すことになったのです。
 一一おうぼ者、集まれ! 町から鼠を追い出した者に、千ギルダーの賞金を与える一一。
 一人の男が町に現れたのは、その翌日のことでした。
 男はふしぎな身なりをしていました。
 先の尖った紅い頭巾に、同じ色の長いマント。その下にはつぎはぎだらけの布で作った、きみょうなまだら模様の衣服。そのうえ、どこの国の職人に作らせたのか、スカートのように先の広がった、見たことのない長い縦笛を首から下げているのです。
「お触れの話はほんとうでしょうな、町長さん?」
 にやりと黄ばんだ歯を見せながら、男はそうたずねました。
「もちろんだとも、もしも君にそれができるのならね」
「分かりました。ほんとうに千ギルダーの賞金が頂けるのなら、この私が一匹残らず、町から鼠を追い出してみせましょう」
 ああ、なんと不適な宣言ではありませんか。
「いいとも。鼠がこの町からきれいにいなくなるのなら、五千ギルダーでも安いものさ」
 町長は少しいぶかしく思いながらも、男の手を握りかたい約束をしたのでした。
 それを確かめるようににやり片目をつぶると、男はすぐに通りに立ち、大きくひとつ息を吸い込みました。それからやおら、持っていた縦笛を吹き始めたのです。
 ふしぎな音色でした。それは、町の誰もが聴いたことのない、どこか遠い国のメロディでした。聴いてはいけないような毒を含んだ、しかし、聴かずにはいられないような魅力に満ちたその調べ……。
 すると、どうしたことでしょう。
 現れたのです。町のいたる所、影という影の中から、たちまち無数の鼠が集まってきたのです。そして、ふしぎな笛の音にあやつられるように、歩き出した男の後をゾロゾロと追い始めたではありませんか。
 町の人たちはなかば驚き、なかば夢でも見るように、そっと家々の窓からその恐ろしい行進を見つめていました。燃えるような紅いマントの後ろにつづく、まるで巨大なへびのような一本の黒いおび一一それは、この世でもっとも気味の悪い行列だったに違いありません。

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