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「あれっ」
「やあ、どうも」
 その二人連れとばったり出会ったのは、赤い提灯や縄暖簾が左右に並ぶ狭い横町。とある小料理屋の置き看板から、視線を上げた瞬間だった。見覚えのある顔が、蛍光灯の白い光をぬらりと反射していた。
「だめだめ、あすこはもう店じまいしちゃってるから、行っても無駄」
 通せんぼをするようにふざけて両手を広げたのは、馬場という野中と同年輩の方だ。
「僕らの焼酎のボトルも、ジ・エンドですわ」
 馬場の部下だという若い西村が、笑いながら右の掌でパアを作った。
 特に親しいわけではないが、二人は閉じた居酒屋のカウンターで何度か話をしたことのある、顔馴染みのサラリーマンだった。たしか人形町の繊維関係の商社に勤めている、と聞いたことがある。
 どこで飲んだのか、二人とも既に赤い顔をしていた。汗を含んだ半袖のワイシャツに、曲がった安物のネクタイが、野中と同じ臭いを発散していた。
「知ってますよ。僕もいまちょうど、どこか代わりの店を探していたところなんです」
 久しぶりに会ったせいか、両方の顔が自然にほころんだ。
「ああそうか。なんだ野中さん、これからご出勤なの」
「ええ、今日はちょっと残業で遅くなっちゃって」
「じゃあちょうどいい、一緒に行きましょう。俺らもいま、新規開拓で次の店を物色していたところだから。なあ、西村」
 馬場は野中の背を軽く叩くと、先に立ってさらに路地の奥へと歩き出した。断る理由もなかったので、野中は西村と並んで後に続いた。嫌な人間ではなし、安くていい飲み屋が見つかれば、またこの三人で贔屓にするのも悪くはないと思った。
「知ってました? あの店、借金がすごかったらしいっスね」
 太い鼈甲縁眼鏡の奥の細い目を輝かせながら、西村が隣の野中に向かい声をひそめた。あの店とは、例の閉店した居酒屋のことだ。
「借金が? へえ、けっこう流行ってる店だったのに」
「ギャンブルですよ。あすこの親父、競輪に入れ込んでたみたいで、終いには店の仕入れの金も、全部そっちの方に注ぎ込んでたって話です。ヤミ金融の取り立てからも逃げ回ってたというから、たまんないっスね」
 学生の面影を残した西村の丸い頬のあたりには、“坊や”と呼ぶに相応しい無邪気そうな笑みが漂っている。
 話に頷きながら野中は、前を行く馬場の方をちらりと見た。この青年を部下に持つという自分と同年代の男の背中が、いつも大きく見えてしまうのが少し悔しかった。
 路地の多いこの街の、暗がりと灯りの匂いを嗅ぎ分けるようにして、三人はしばらく歩いた。民家の裏庭のような細い路地の先に、ふいにまた赤提灯の並ぶ通りが現れたりするのが、面白くもあった。
 明るい商店街の通りから弾き出されたような、ひときわ暗い路地の奥。三階建ての小さなビルの地下に、その店はあった。「田舎料理 むらた」と書かれた行灯式の置き看板が、路上を心細げに照らしている。ビルの一階は文房具屋で、すでにシャッターが降りていた。
「ここでいいか。落ち着いて飲めそうな感じだしな」
 言いながら、文房具屋の脇の階段を馬場はさっさと降り始めた。西村が後に続き、野中が自然に最後尾という形になった。無言のうちに意見が一致したのは、あたりにはもうそれらしい店が見当たらなかったのと、誰もが歩き疲れていたせいだろう。
「いらっしゃい──」
 脇の赤提灯に照らされた小さな暖簾をくぐると、どこか投げやりにも思える男の声が、奥から聞こえた。魚を焼く匂いが、あたりに漂っている。
 中はがらんとしていた。
 八人ほどが座れるカウンターと、その後ろに四人掛けの狭いテーブル席が四つ。古い田舎家風に作られた壁や天井のあちこちには、たっぷりと煙で燻された土産物の民具や土鈴などが、無造作にぶら下げてある。カウンターの奥の席にいた二人の男以外には、他に客の姿も見えない。
「俺達もカウンターでいいか」
 馬場が先客から一つ離れた椅子に腰を下ろし、入ってきた順に三人が横に並んだ。ウィークデーということもあろうが、この時刻のわりに客が少ないのは、やはり賑やかな通りを少し外れたこの場所のせいなのだろう。もっともそれは、野中にとり都合の悪いことではなかったが……。
「へい、お待ち」
 すぐにカウンターの中の主人が、慣れた手つきでおしぼりを手渡す。白髪の混じった髪を短く刈り上げた初老の男だ。どうやら一人で店を切り盛りしているらしい。手元で何かを焼いているとみえ、白い煙が頭上の排気用フードに向かってさかんに昇っていた。
「お飲物は?」
「俺はさっきビールを飲んできたから、酎ハイにしよう」
「馬場さんが酎ハイなら、じゃあ僕もそれお願いしまっス」
「僕は生ビール下さい、大ジョッキで」
 三人はそれぞれの飲みたいものを、主人に告げた。
 その後、壁に掛かったメニューの札を見ながら、各自が好きなものを選んで頼んだ。値段はどれも、それほど高くはない。野中はとりあえず冷や奴を注文し、さらにレバーと砂肝とつくねの焼き物を一本ずつ塩で頼んだ。それで少し肩の荷がおりた気がした。

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