No.
22 |
展示物の名称
わが家の庭の古い門 |
出展者
山 の 民 |
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■山梨県○○○町の、私の家の敷地内にある古い門をご紹介します。
ご覧のように、大河ドラマにでも出てきそうな時代がかったものですが、普段、門として機能しているわけではありません。わが家の庭の一角に建てられたまま、かつての時代を懐かしむように静かに時の流れを見つめている、いまはリタイアした門なのです。
この門は実は、江戸時代後期に甲府にあった幕府の学問所で、後に「徽典館(きてんかん)」と命名された施設の正門だったものです。
享保9年(1724)、甲斐の国一円は江戸幕府の直轄領となり、甲府には甲府勤番支配が設置されます。その甲府に幕府の学問所が開設されたのは寛政8年(1796)頃のこと。これは甲府勤番士の子弟の教育を目的としたもので、幕府が地方の直轄領に設置した最初の学校でした。甲府城追手門前の勤番支配の役宅が甲府学問所の仮学舎とされ、初代教授には富田武陵が就任しました。この学問所が追手門南に移築され、江戸・昌平坂学問所の林大学頭により徽典館と命名されたのは、文化2年(1805)のことでした。
その後、幕府の崩壊とともに甲府勤番の支配は終わり、明治6年(1873)新政府の学制制定にともない、徽典館は私学開智学校と改称されます。さらに山梨師範講習学校、山梨師範学校と改称を経て、明治9年(1876)には甲府錦町に新校舎が完成し、開業式が行われます。
徽典館が空き家になったのは、自動車がやっと走り出した頃の、明治30年(1897)のことでした。この年に甲府の談露館に移築されたと言う記録があります。わが家にこの徽典館の門がやって来たのは、昭和10年(1935)のことだったそうです。どういう経緯でそうなったのかは分かりませんが、私が高校生になる頃まで、この門はわが家の土蔵の中に眠っていました。江戸時代の絵図を元に門やその周りを今の状態に復元したのは、彫刻家の笹村草家人という人です。
思えば、長い時代を生き抜いてきた門です。多くの若者が、かつて希望を胸にこの扉を叩いたのかと思うと、感慨深いものがあります。これは貴重な文化財なのですね。けやきの一枚板でできた扉を叩くものは、いまは風だけになってしまいましたが、これからもわが家で大事に保管しなければと思います。
へえ、これって本物の文化財なんですね。なんたって江戸時代の絵図にも載ってる、と言うところがすごい。しかし、こんなものが自宅の敷地内にあるなんて、いったいどんなお家柄? 私はそっちの方が不思議でたまりません。 |
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