1993年4月19日
夏の郡上踊りで有名な郡上八幡にバスで着いたのが、昨日の夕刻のことだった。おりしも町は春祭りの真っ最中。全国から観光客が訪れる夏に比べ、春は地元の人だけのささやかな祭りらしい。小さな山車や太鼓の音が通りを練り歩き、山間の夕暮れは華やかな雰囲気に包まれていた。その夜のテレビのナイター中継、中日・ヤクルト戦は、東京ではまず見られないカード。

 一夜明けた裏通りには、まだ昨日の余韻がかすかに残っている。そのままになった神社の幟や、「春まつり」と大書された横断幕。路上に散った桜の花びらも、まだ掃き清められてはいない。どことなく、祭りの後のけだるさを感じさせる光景だが、雑然とした中にも古い町に住む人々の生活感が、空気中に漂っている。不思議な静けさ、不思議な親密感。やはり春だなあ…。
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山に囲まれ川に恵まれたこの小さな城下町は、静かに暮らすには最適なところかも知れない。川沿いの家々がみな城のように見えるのも、この町の豊かさのひとつの表れなのだろう。金さえ有れば、のんびりと長逗留するのだが。
郡上青山藩4万8千石の城下には、至るところに湧水の飲み場がある。ここは水の豊かな土地なのだ。飲んでみると、東京の塩素臭い水道水に比べても、格段にうまい。これじゃあ長生き出来そうだ。おまけに町中、満開の桜。最高の季節の最高のもてなしに、心から感謝したい!
鮮やかな色の柳の新芽が吹き出した、新町通りの路地「やなかのこみち」。水路や噴水が楽しい、魅力的な石畳の散策路だ。民芸店「おもだか家」のおばあさんから、お茶とお菓子をご馳走になり、お返しに“うるか”の瓶詰めと、地元在住の女性詩人の詩集を買う。中身は素朴な生活詩。自費出版らしい。
「やなかのこみち」の周辺には、小さな美術館やギャラリーもあって、文化的なムードが漂う。こんな町に住んで、コツコツささやかな創作活動を続けながら、生きて行けたらどんなに幸せなんだろう…。ふらり訪ねた斎藤美術館の「水琴窟」の音を聞きながら、ふとそんなことを考えた。
これはびっくり。「郡上名産 くま肉」と染め抜かれた旗の掛かった鮮魚店。この辺りでは、熊の肉が普通に売られているのだろうか。日本列島、狭いようで広い。窓のガラスには他にも、「志し肉」「志か肉」などと書かれた札が貼ってある。

この町の路地には石畳がよく似合う。小駄良川の橋の周辺の景観は、まるで絵葉書に描かれたイラストのよう。石垣の上の家並みと言い、しだれ柳の枝振りと言い、俗っぽささえ感じさせるほどぴたりとハマっている。偶然の産物だとすれば、それはそれで面白い調和だ。火曜サスペンス劇場なら、けっこう良いシーンが撮れそう。ちなみに柳の下の祠は、「宗祇水」という湧水を祀ったもの。

 岐阜に向かう帰りのバスの車中で、パラパラと「おもだか家」で買った詩集をめくり、読む。おばあさんお奨めの本だが、作者の女性の喜び悲しみ苦しみが、吐息のように綴られている。どの土地で生きても、やはり苦楽はあるんだね。こんな土産が、たまにはあっても良い。「ふるさと道」と題されたその小さな本が、これからも郡上八幡の風景を、いつまでも思い出させてくれるだろう…。


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