1984年5月11日
東京から新幹線で米原へ出て、東海道本線の各駅停車に乗り換える。近江八幡に着いたのは午後も3時頃のこと。初夏の強い日差しが、少し長い影を地面に落とし始めている。いかん、もっと早く東京を発てば良かったかな。いやいや、まだ日は長い…。

 豊臣秀吉の甥、秀次が安土の町を移して造ったといわれる城下町、近江八幡。メンソレータムの近江兄弟社や、あの近江商人の発祥地として知られる町だ。
 駅からはるばる歩いてたどり着いた新町辺りには、往時そのままの商人達の本宅がずらりと並び、まるで違う時代のようなたたずまいを見せていた。白い漆喰壁と時代を経た木肌の色の対比が、目にしみるほど美しい。さあ見てくれと言わんばかりの松の枝振りは、この町に住む人たちの矜持の表れだろうか。道の真ん中に立つだけで、なにか圧倒される思いがする。
 ひっそりと生きている昔。物音ひとつしない今…。
[地図を見る]
中世以来、近江は神社建築などに優れた大工を輩出している。近江八幡の町造りにも、そんな大工たちの技術が活かされているという。この美しい家には、どんな人が住んでいるのかな?
おお、路地裏で見つけた「近江商人発祥之地」の碑。
 轟き渡るその名だが、江戸時代にこの町から出た商人たちは、畳表や蚊帳など地場産業を育成し、その商品を全国に流通させたという。天秤棒を担いだ行商からのスタートか…。商売のコツを聞いてみたいよ。
名も知らぬ通りから見る八幡山。豊臣秀次が築いた八幡城の跡がここにある。“殺生関白”の烙印を押され、秀吉により死に追いやられた秀次だが、この町と共にその名前は永遠に語り継がれる。
誰もいない日牟礼八幡宮の境内にたたずむ。近江八幡の町の名もここに由来するという。千年の歴史を誇る大きな神社で、近江商人の信仰を集めているが、「火祭り」でも有名なのだとか。
歩き続けてさすがにくたびれた。明治橋の上からぼんやりと八幡堀を眺める。遠くに見えるのは白雲橋。この季節らしい色の夕陽に抱かれながら、草も水も土蔵も動こうとはしない。
気が付けば、黄昏が近い。最後にたどり着いた白雲橋の周りには、すっかり夕暮れ色に染まった時間が流れていた。
 八幡堀の水面に映る、白い土蔵の影。ぼんやりと黄金色に霞んだ空の色。すべてがまるで夢の中の景色のようだ。初めてなのにどこか懐かしい感じがするのも、記憶のどこかに、これとよく似た風景がしまい込まれているせいなのかも知れない。
 
 琵琶湖へとつながる八幡堀は、かつて物資輸送の動脈としてこの町の繁栄のシンボルでもあった。往時はこの水面に多くの舟が浮かび、荷の上げ下ろしをする人々の声が、威勢良く飛び交ったことだろう。傾いた陽の中、人足達に指図する親方の大きな声も響いたに違いない。じっと耳を澄ませば、そんな賑わいがかすかに聞こえてきそうな夕景が、目の前に広がっていた…。


分布図と目次へ 前のページへ 次のページへ