町並み漫歩館トップページ 亀山 時期:1995年5月9日
場所:三重県亀山市


新聞の天気図で確かめたところ、二、三日は好天が続きそうだ。グッタイミング! 高気圧に背中を押されるように、久しぶりにふらっと旅に出た。
新幹線で東京から名古屋に出て、駅中の店で昼飯のごぼうのてんぷら定食を腹に入れると、そこから関西本線に乗り換える。目的地の亀山に着いたのは、午後二時半ごろ。少し暑い日だ。
「カメヤマローソク」で有名な三重県亀山市は、亀山藩の城下町として、また東海道の宿場町として栄えたところ。歌川広重の「東海道五十三次」では、美しい雪景色の亀山城が描かれている。その亀山を探索するため、がらんとした駅通りをまずは城趾の方に向かい歩き始める。

濃くなり始めた新緑を眺めながら、駅通りから住宅街に折れて歩くこと約10分、忽然と現れたのは加藤家の長屋門。日を受けた白壁が目にまぶしい。加藤家は、藩の家老職を務めた家柄だという。
長大な門をファインダー内に収めようと、狭い通りでカメラを手に四苦八苦していると、ふとズボンの裾に何か当たるものがある。見ると一匹の黒猫が、体をスリスリしているじゃないか。これは、歓迎のしるしなのだろうか? 猫に好かれたことなど、今まで無かったはずなのに…。
マップ

江戸時代に石川家の城下町だった亀山だが、宿場町としての規模はさほど大きくはなかったようだ。まあ、すぐ隣に有名な関宿があるものな。
なので、旅籠らしい建物はここにはあまり残っていない。

いよいよ亀山城趾へと向かう。
「大久保神官邸宅門」は、城の鎮守・南崎権現社の神官邸宅の門。昭和になって現在地に移築されたもののようだが、なかなか堂々とした造り。
奥にあるのは、亀山藩の「心形刀流剣術」を伝える道場。

若葉の向こうにかすかに覗く亀山城多聞櫓。城は丘の上にあり、峻険な石垣は広重の浮世絵に描かれた通りだ。
城下を見下ろす初夏の亀山城趾は、神社や小学校をも抱え込む、広く閑静な公園になっていた。

ついに登城に成功! といっても亀山城に天守閣はなく、無骨な姿の多聞櫓が残っているのみ。

もともと粉蝶城と呼ばれた優美な亀山城は、寛永9年(1632)幕府の命を受けた堀尾忠晴により解体されたが、実はこれ忠晴が、修築するはずだった丹波の亀山城(京都府)と間違えたためとも言われている。どうも、にわかには信じ難い話だが…。
多聞櫓は、その天守閣跡に建てられた武器庫なのだそうだ。

池の側にある古い民家。水面に写る姿が美しい。
この池は亀山城の外堀にあたるものだが、かつての堀はそのほとんどが埋め立てられている。

桜はとうに終わったものの、ツツジが咲き誇るこの季節。西町にある商家の白い漆喰壁や黒い格子に、柔らかい日差しが当たっている。瓦葺きの屋根の上にせり出した松の枝には、古い町の持つ良さが凝縮されているようだ。
知らない町を行き当たりばったりに歩くとき、心がときめくのは、やはりこんな古い建物に出会う瞬間だ。
人が住んでいようがいまいが、それは関係ない。その土地から生まれ、土地の空気を吸い、ひとつの時代を生きた彼らの顔には、滋味のような深い皺が刻まれている。観光地に建てられたどんな施設よりも、それは含蓄のある言葉を語っているんだよなあ…。

わずか一時間ほどの町歩きに、すっかり汗ばんでしまった。だが、気分は充実感でいっぱいだ。亀山は連続した町並みの景観こそ失ったものの、十分に歴史の長さと重みを感じさせる空気に包まれていた。
そんな、初夏の光の中で眠るような町に別れを告げ、このあと亀山駅に戻る。自販機で買ったポカリスエットで一息入れると、慌ただしく15時39分の電車に乗り込む。つぎの行き先は、隣の駅・関だ。
ちょうど高校生の下校の時間帯らしく、車内はニキビ顔の生徒たちであふれ、どこか落ち着かない雰囲気。ふと自分が高校生のときの、先生のいない教室を思い出した。


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