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1995年5月11日
◆「にいちゃん、今のバスで来なはった?」
バス停の前で待ち受けていたような、見知らぬジイサンにそう声を掛けられたのが、この町との出会いの第一歩だった。
暇を持て余す隠居老人なのだろう。誰かと話をしたくてたまらない、という表情だ。町について色々説明してくれると言うので付いて行き、自宅の自転車屋でお茶をご馳走になる。ジイサン、よく喋る。長い話から解放され地図を一枚貰い外に出ると、もう今にも雨が降りそうな空模様。ああ、なんということだ、ジイサン!
榛原から奈良交通バスで、20分ほど田舎道を揺られて着いた大宇陀は、奈良県の東部に位置し、古い歴史を誇る静かな町。人影のない表通りの両側には、「吉野葛」と書かれた暖簾や看板を下げた、大きな商家が数軒点在している。どうやらここは葛粉の産地らしい。暗い空を気にしながら、ジイサンに教えられたとおり町を歩き始める。
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| ◆死んだような静けさの町。緩やかに左に折れる舗道。湿った冷たい風が吹き抜ける、大宇陀の表通りのあちこちには、驚くほど立派な商家が眠っていた。 |
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◆万葉の昔から薬草の里だったという大宇陀。その伝統を引き継ぐように、商家の戸袋にはいまも薬の看板文字が、かすかに残っている。
この町をルーツとする製薬会社には、藤沢薬品、ツムラ、ロート製薬、笹岡薬品など、ビッグネームが多い。意外な町の歴史だが、もっと誇っても良いんじゃなかろうか。 |
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| ◆とうとう雨が降り出した。傘を差したオバさんが、急ぎ足で通り過ぎて行く。これが蛇の目に和服の美人なら、絵になるのだが…。しかし、こんな日に限って天気予報は当たってしまう。 |
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◆逃げ込んだ「薬の館」という無料の資料館で時間を潰しながら、ついでにこの町の歴史と文化を勉強する。豪壮な薬商の家だったものを一般公開した施設だが、しかし内部は広い。その広い建物を見終わっても、外はまだ雨。困っていると受付のご婦人が、備え付けのビニールの傘を一本くれたっけ。この町は親切な人が多いね。 |
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| ◆民家の軒下から見た町の情景もまた様になっている。ここで一句、「老人と雨音のよく似合う町」。さらに勢いを増した雨にもう一句、「うだうだと愚痴を言いたい宇陀が辻」。うーん、どうもねぇ。 |
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◆貰った傘を差して雨の中を歩く。♪Just
walkin' in the rain 〜。雨勢はさらに強いが、こんな町歩きもまた楽しいもの。誰もいない通りを一人でずんずん歩く。ふと見つけた古い造り酒屋の軒下には、茶色くなった杉玉が肩を並べるように下がっていた。「五月雨や
兄弟のような 杉の玉」。雨の大宇陀は、深く記憶に残る町なのだ。
驚いたことに、バス停に戻る途中でさっきのジイサンとまた会ってしまった。よほど暇なんだな、この人。先ほどの礼を言うと、ジイサン今度は、帰りのバスの時刻を心配してくれた。 |

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