1991年6月29日
梅雨明けのある日、外房を回るいくつもの電車の線を乗り継いで、佐原へとやって来た。途中、大原辺りで夕立にあったりもしたが、佐原に着いた頃にはからりと空が晴れていた。夕暮れにもかかわらず、夏の陽はまだ高く強烈な輝きを保っている。古い町家が多い反面、全体として整備されず雑然とした印象の街だ。

 小野川沿いには、かつての水運で栄えた名残を思わせる古い商家が並んでいる。中でも代表的な「いかだ焼正上」の店構えは圧巻。船着き場の階段やしだれ柳の垂れ具合も様になり、実に風情のある景観だ。店内では、品のいい老女将がいて、佃煮の試食品に冷たい麦茶を出してくれた。大変おいしゅうございました。
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見るからに頑丈そうな中村屋乾物店の蔵。力士でいえば、元大関小錦といった感じか。これは相当、長持ちしそう。窓の扉には、「勝男節(かつおぶし)」などの文字が刻まれている。
この国で古く美しい町並みが生き残るには、野生動物と同じように二つの道しかない。一つは、積極的な保護を受け再生する道。もう一つは、時代や開発から取り残された場所で、ひっそりと生息する道。
 佐原の町並みは、次の時代にぜひ残したい魅力を持っている。
江戸時代から続くという「正文堂」は、黒漆喰の見事な蔵造りの書店だ。竜の彫り物が施された店の看板は、さらに見事。建物ともぴたりマッチしていて、日本看板史に残るまさに国宝級の逸品。どんな職人が作ったのだろう?
利根川へとつながる小野川の流れ。佐原は、かつて米や醤油の集散地として、水運で大いに繁栄した歴史を持つ。立派な蔵が多いのも、そのせいらしい。
 だが、無粋な電柱にスチールパイプのガードレール、護岸の石垣もブロック製では、伝統ある商家の家並みも泣こうというもの。本物の石垣の復活や電線の地中化など、やることは沢山あるはずだ。やりようによっては、倉敷や柳川のような美しい町づくりが出来るのに…。
その名も忠敬橋のたもとにある史跡・伊能忠敬旧宅。測量により初めて日本地図を制作したことで知られる忠敬だが、50歳で江戸に出るまでここで商売を営んだ。まさに“中高年の星”。

町歩きに疲れたときは、地元の店でもり蕎麦を食うことにしている。安いわりに腹が膨れる。消化も良い。なにより味や量、添え物のおかずなどに、地域性を感じ取れる。中には、その地方独特の変わり蕎麦などというものもあるし…。
 で、入ったのが、天明年間創業という「小堀屋本店」。奮発して頼んだここのざる蕎麦は、本当に旨かった。さすが、天明年間! ちなみに建物は数度の火災で焼失し、現在のものは明治23年に造られたのだという。
 茶を飲んでいる隣の席では、地元の客らしいオバさんたちが、お喋りに熱中していた。しかし、むき出しの千葉なまりは、聞いているだけで相当に強烈だ。まあ、喧嘩してる訳じゃないことだけは、何となく分かったけどね。


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