町並み漫歩館トップページ 須坂 時期:1996年5月20日
場所:長野県須坂市


曇り空。暑くはないが、重たげな雲が一面に空を覆う。こんな日は気分も滅入りがちだが、責任はこんな日を選んでしまったこちらにある。ま、汗だくの酷暑よりはまし、と自分を慰めるしかないか…。
長野電鉄の電車で長野県須坂市に着いたのは、そんな初夏のある日の昼前だった。

駅前は、こざっぱりした地方都市といったおもむき。さっそくガイドセンターで市内の地図を手に入れ、ついでに受付の女性に美味い蕎麦屋を教えてもらう。やはり信州と来れば、“おらが蕎麦”だ。腹も減った。
勇躍、紹介された蕎麦屋を探り当て、もり蕎麦を注文して喉に入れる。
で、これが死ぬほど美味かったら感涙するところだが、特にどうと言うこともないので拍子抜け。まあ、とりあえず近くの店を教えてくれた、と言うことなのか。地元の人にとって、蕎麦とはそんなものなのだろう…。
食後、写真屋でフィルムを購入し、「蔵の町並み」と名付けられた道を歩き始める。ここ須坂は、信州の商都として栄えた歴史の町だという。
マップ

かつてまゆの集積地として、製糸業で栄えた須坂。
旧街道沿いには、まゆ蔵らしい土蔵や蔵造りの店などがずらりと建ち並ぶ。まるで町中に色んな種類の蔵を、思い切りぶちまけたような感じだ。

古いが堂々として見事な家が多いのも、この町の特色。
入口から垣間見たとある民家の中庭には、見事な枝ぶりの松が数本…。内部はさぞ広く、豊かな生活空間が広がっていることだろう。かつての栄華の時代の残り香が、ゆらり漂うような陰影の色。

一万石の小さな城下町だった須坂が、養蚕・製糸業で大きく栄えたのは、江戸末期から明治・大正にかけてのこと。
産業道路だったという旧街道を歩くと、当時の繁栄の様を彷彿とさせる風景に至るところで出会う。

旧料亭だった「大光楼」。明治時代の物だという看板には、なぜか「長野日日新聞社」の名が刻まれている。
その昔、お大尽たちが札ビラを切ったに違いない建物も、今は古びたアパートか? それにしても、立派すぎる破風なのだ。

たどり着いたのは、須坂藩御用達だったという田中本家。北信濃随一という「豪商の館」だが、いまはミュージアムとして一般公開中だ。
しかし、この城のように広大な屋敷は、庭も建物も調度品もけた外れに豪華。いや〜、たまげた驚いた。

須坂では、至るところ魅力的なランドマークに出会う。カメラのフィルムも、あっという間に無くなりそうだ。
通りの角に立つこの頑丈そうな蔵は、まるで城の櫓(やぐら)のよう。漆喰がはげ落ちたのか土壁の色が露わになり、なかなか渋い佇まいだ。珍しいのは“ぼたもち石”と言う、丸石を使った石垣の造り方。寸分の隙間もない、見事な組み合わせが憎いね。

足がすり減るほど歩き回り、すっかり疲労困憊。須坂駅に戻ってきたのは、午後3時頃のことだった。歩けばけっこう広い市街(まち)なのだ、ここは。
豪華な蔵や建物を、惜しげもなく見せてくれる須坂──。それにしてもかつての繁栄を失ったはずなのに、寂れた風情がないのは何故だろう。どこか全体におっとりした、大人のような風格をさえ感じさせるのが不思議だ。
たぶんそれはこの町の人々が、生活の中で古い家々と共に生き、それらを大切に扱っているからに違いない…。
この後、長野電鉄で長野駅へ向かい、そこから上野行きの特急「あさま28号」に乗車。土産はキオスクで買った蕎麦だけ(やっぱりこれなのだ!)。最後まで晴れることのなかった空が、車窓の向こうをゆっくりと流れて行った。


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