1986年11月23日
よく晴れた日、買ったばかりのニコンF501を肩に下げ、栃木市を訪れる。肩ひもに掛かったマシンの重さが心地良い。一眼レフ、オートフォーカス。まあ、試し撮りという奴だ。

 やわらかな晩秋の日差し。巴波川沿いに立つ、対岸の商家の白い壁がひどく眩しい。八つの蔵が続く巨大な建物は、もとは材木問屋だという塚田記念館。往時はこの川面を、多くの材木が埋めていたことだろう。黒板塀がどこまでも長い川沿いの道を、和服の美人でも通らないかと待つが、まるで人影がない。肥った鯉ばかりが、水面近くをゆうゆうと泳いでいる。やっぱり無理だよな、バシャッ。諦めて押したシャッターの音が、ばかにシャープに鼻先で響いた。
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「蔵の街」として知られる栃木は、巴波川の舟運で栄えた歴史を持つ。いまも町なかには、いたるところに堅牢そうな姿の土蔵が点在する。だが、近代化という名の破壊者と、どう折り合いが付けられるのか、「蔵の街」に与えられた宿題は多い。

栃木は、天正年間に城下町として生まれたが、間もなく城主は改易され、その後は商都としての道を歩む。江戸時代には、例幣使街道の宿場町としても栄えた。
 この土蔵の白い壁には、ローマ字で“marui”と書かれた消えかかったマークが…。不思議な取り合わせだが、妙に似合っている。

横山郷土館として一般公開されている横山家。元は麻苧を商った問屋で、銀行を併設していたという。右と左には大谷石造りの、同じ形の蔵を付き従えている。お洒落なレイアウトだ。

裏通りに忽然と現れた栃木病院。「蔵の街」と呼ばれる栃木だが、古い西洋館もまた多い。エキゾチックなデザインや柔らかな色彩など、患者の心を癒してくれそうなたたずまいだ。看板の文字も右から書いてある。中を覗いてみたい誘惑にかられた。

路地裏で見つけた、珍しい蔵造りのアパート。いかにもこの街に似合った風景だ。懐かしく温かい日常の匂い…。住み心地はどんなものだろう? ここでどんな夢を見られるのだろう?


北関東の青い空に、古びた土蔵の陰はよく似合う。それはまた、この街の土蔵が大火との闘いの末に生まれた、という証でもある。どんな歴史が、そしてどんな人の声が、その中にしまい込まれているのか…。傾き掛けた晩秋の日差しの中で、開け放たれた二つの窓が、まるで巨人の両眼のようにじっと虚空を見つめていた。
 
 帰りがけ、“油屋傳兵衛”という暖簾の掛かった店に入り、名物のこんにゃく田楽を食べる。隣接するのは味噌工場。たっぷりと味噌の乗った大きなこんにゃくは、冷えた体に温かく旨かった。ふと見ると、店の壁にはなぜか森昌子の写真が。そうか、そう言えば彼女もこの県の産だったよな…。噛み砕いたこんにゃくを呑み込みながら、やっとそれに気が付いた。


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