1986年5月12日
口紅を付けた女生徒もちらほら混じった、通学の高校生で満員の朝の近鉄南大阪線で、橿原から古市に出る。そこから長野線に乗り換え、午前9時頃に富田林の駅に着く。駅前の喫茶店でコーヒーを飲むが、なにか周りはガラの悪い客が多い。河内言葉のせいでそう思えるのか、実際のここの土地柄なのか、どうもちょっと怖いところに来てしまったようだ。ブルル…。

 興正寺の寺内町として発展した富田林は、いまも江戸時代の雰囲気を濃厚に残した家並みを持っている。東西南北に走る格子状の通り。その臍の部分に現存する城のような寺。それらはこの町が一向宗の門徒により、きちんと計画的にデザインされたことを物語っている。陽の強い通りを歩くと、家々の繊細な格子や板壁の落ち着いた色彩が醸し出す、陰影のあまりの美しさに思わず惹き込まれる。…本当は良いところなのだ、ここはきっと。
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「水」という字が彫り込まれた石桶。現在、使われているようには見えない。これはかつての生活用水か、それとも防火用? 格子を支える鉄棒の、蛇のように曲がったデザインが洒落ている。
電柱さえなければ昔そのまま、といった雰囲気の通りを歩く。
 家々の格子や板壁、軒裏などにひそんだ、ディテールを探すのは楽しい。すべての形は、機能を満たすため生まれたのだ。誰にも気付かれない美しさが、日常の中に転がっている。
寺内町・富田林のシンボルとも言うべき興正寺別院の鐘楼。寺は、城の門筋と堺筋の交差点にある。昔の権勢を思わせるように、いまも存在感のある豪壮な姿を見せている。

せまい路地に面した、格子の美しい中井家。日当たり良好で、庶民的な生活感の漂う空間だ。玄関先に咲いた紅い花の鉢植えが、この家に良くマッチしている。19世紀後期の建物だという。

葛原家の三階蔵は、まるで城郭のよう。白い漆喰壁を輝かせながら、青空に向かってぐいと伸びている。それにしても、豪気な町家の多いところだ。
 町の写真を撮るとき一番困るのは、被写体のすぐそばに車を止められること。動かすわけにも行かず、運転手が戻ってくるのをじっと待つしかない。こんなときは本当に腹が立つ。まあ、こちらの勝手な都合なんだけどね…。で、この和泉ナンバーの車は、居座ったままついに動かなかった。

強い日差しに、道路のアスファルトも溶け出しそう。碁盤目状にどこまでもまっすぐに伸びた、富田林の白い通りは、町歩きするには見通しが良くて便利だ。複雑な城下町などの道筋と違い、商人の町らしく合理的に出来ている。
 豪勢な邸宅や蔵の多さに圧倒されながら、1時間以上も歩き続けて、すっかり汗をかいてしまった。板壁の木肌の色と櫺子格子、それらが織り成す光と影。どこを向いても美しい。富田林は、一向宗門徒のエネルギーが町造りという形で結晶化したような、ミラクル・タウンなのだ。
 気分はひどく満足。予想以上の収穫と言っていい。さいわい、怖い河内のオッサンにも会わずにすんだし…。ここで見た景観の美しいイメージを壊さぬよう、以後しばらく、コテコテの関西系お笑いは避けることにするか。


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