町並み漫歩館トップページ 横手 時期:1989年4月25日
場所:秋田県横手市


駅の売店で買ったホタテ弁当と共に、上野を発ったのが午前11時。空席の多い東北新幹線の車内で食ったホタテの味は、けっこうイケていた。
約3時間ほどで北上着。ここから北上線に乗り換えなのだが、次の電車まで約1時間もある。仕方がないのでホームで天ぷらそばを食い(よく腹が減るのだ)、改札を出て何もない駅前をぶらぶら歩き時間を潰す。
お陰で目的地の横手に着いた頃は、すでに夕方の5時近く。収穫のない一日とはこのことだろう。

翌4月26日の朝はどんよりと曇り。前日に失った時間を取り戻そうと、朝食も取らずホテルを出る。
冬の「かまくら」で有名な横手に今時分やって来たのは、この町の武家屋敷群を訪ねるため。おりしも、東北はちょうど桜の季節。北国の風格ある町並みと、艶やかな花の取り合わせを、ぜひこの目で見てみたかったのだ。
途中、喫茶店でトーストでもと思いつつ、横手城を目指して歩くうち、おお、早くもそれらしき武家屋敷通りに着いてしまう。まいったね、少し。
マップ

桜の花がすでに散り、玄関までの小道がピンク色に敷き詰められた一軒の屋敷…。これもまたいい。美しい娘がこの上をやって来ればなおいい。婿養子になってもいい。
玄関の庇が亀の甲羅のように湾曲したデザインは、この辺りの家々に共通したもの。積もった雪が正面に落ちないための工夫だろうか。ヘルメットのようにも見えて、どことなくユーモラスだ。

堂々たる門構えの豪邸。さぞ身分の高い武士の屋敷なのだろう。ストレートに玄関に進めないよう、正面を庭木で隠した造りが、いかにも武家屋敷らしい。

小野寺氏の居城だった横手城は、関ヶ原の戦いの後、最上氏を経て佐竹氏の支城となった。一国一城令後も打ち壊されずに存続したが、戊辰戦争により炎上。もともと天守が築かれたことはなく、現在その場所には、模擬天守閣の郷土資料館が建つという。

そんな横手の城下町は、作家・石坂洋次郎が13年間教員生活を送ったところで、小説「山と川のある町」の舞台としても知られる。なるほどね──そう頷きたくなるほど、ここは物語の舞台に相応しい風景を持つ町だ。

通りには、質素で無骨だが品格を失わぬ古武士、といった面持ちの古い家々がひっそりと立ち並ぶ。
すべてがモノトーン。人通りも少なく、いい雰囲気だ。城下町らしい落ち着きが、空気の中に漂っている。

空きっ腹を抱えながら、横手城への石段を登る。城山には桜祭りの紅いぼんぼりが立ち並んでいたが、花は八割がた散っていた。そこから見下ろした城下の町を、横手川が大きくうねって横切り、遠く雲の彼方に鳥海山の白い頂きが見えた。

帰りぎわに横手川に架かる橋の上から、城山を振り返る。さっき上ったばかりの小さな模擬天守が、木々の上にかろうじて頭を覗かせている。城と川のある風景は、どこで見てもいいものだ。

城からぶらぶら歩き、ふたたび市街地に戻る。
豪雪地帯として知られる横手──。町なかのところどころには、置き忘れられたような古い商家が残っている。雪国らしい重厚な屋根の建物は、ディテールもなかなか凝っていて、雪の積もった姿の美しさを思わせる。
そんな町の様子を見ていると、何だか「かまくら」の頃にまた来てみたくなった。スッピンだった女がそのとき、どんな化粧をして見せるのやら…。一度、じっくり覗いてみたくなったのだ。

昼近くの11時頃、やっと見つけた横手駅近くの小さな定食屋に飛び込む。空っぽの胃袋はもう限界だ。
11時27分発の大曲へ向かう列車を待つ間、むさぼるように飯を食う。おかずは目玉焼きと漬け物に、「ホンナ」や「シドケ」という山菜のおひたし。いや、バアさんの作ってくれた遅い朝食は、しょっぱい味噌汁以外みんな美味かった。


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