No.6(2002年1月8日)
山口嘉民:文
●折にふれ、作者の近況や心境などをお知らせします。


山口延勝翁観魚像について

昭和41年ころ、
曾祖父の像を作った彫刻家の笹村草花人は、
戦前の大政翼賛会に招かれてこの村に来たが、
その後もこの村の住人となり、
東京美術学校で石井鶴三の助教授をつとめた。
当初桂川沿いに川面を見下ろすように置かれるはずだったが、
諸々の事情から
桂川漁業組合の養魚池を見下ろす淵におかれ、
今も鮎の稚魚を見守っている。
この像は見る人から背を向けて置かれているので、
正面から見ることはなかなか難しい。
除幕式には、その頃、僕はあまりに悪たれだったので連れていってもらえなくて、除幕のテープは僕の妹が切ったそうだ。

制作中の像

子供の頃のおれ

この頃、祖父が町で洋裁料理お茶お花の花嫁学校を開校した。
居続けして毎日教室の黒板に、台に上って白墨で描いた。
写真をみるとやっぱり左手で描いている。
その頃、親父に連れていって貰ってみた映画が、禁断の惑星だったとおもう。
ロボットや宇宙船などが描かれている。
子供の頃の俺はひどい悪たれで、
親父が学生だった頃行きつけだったという、
新宿三光町の料亭の二階から猫を放り投げて、こっぴどく怒られた。

祖父の像

大正期に青年時代をすごして、
小説家か絵描きになりたかったが跡取りだったため別の道を歩んだ祖父は、
僕が分校の3年生の時、藁半紙にクレヨンで描いたこの絵をみてびっくりし、
おまえは絵描きになれと勧めた。
髪の描きかたを特に感心していたようにおもう。
一時間ぐらい祖父の正面に座って一気に描いた。
子供心によく知ってる人物だったから描けたんだと思った。
僕が子供の頃、絵描きや彫刻家は祖父のもとに多く出入っていたから、
自分がえかきになってみたいと考えたのは自然な事だったように思う。




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