ストーブ作り一筋に歩んだ、佐藤暖房機の100年の物語をご紹介します。

東京と大阪の間に、初めて長距離電話が開通した明治32年、北海道の日高から上京した一人の青年・佐藤松市が、苦労のすえ東京の片隅で、小さな行火の販売店、佐藤商店を開業します。やがて、ストーブの製造を始めた佐藤商店は、第一次世界大戦後の好景気にも恵まれて順調に発展し、会社としての基盤を固めて行きました。

昭和という時代を迎え、手作りの家内工業から工場による大量生産の体制を整えた佐藤商店は、やがて佐藤暖房機へと成長し、次々と新しいストーブを開発して行きます。昭和7年には軍への納入も可能になり、大量の受注を受けて、会社は拡大の路線を歩みますが、徐々に聞こえ始めた戦争の足音は、少しずつ操業を圧迫し始めます。

日本は敗戦を迎え、空襲により廃墟と化した東京でしたが、復興の鎚音はすぐに逞しく響き渡ります。復員した二代目の佐藤謙吉は、焼け跡にバラックの佐藤暖房機を再建し、会社復活の夢を掛けてストーブ作りに励みます。ゼロからの再スタートは徐々に軌道に乗り、好景気の影響も受けて、やがて高度経済成長時代の波に乗りました。

会社復興の夢を果たした佐藤暖房機でしたが、時代を支えるエネルギーは、石炭から石油・ガスへと移りつつありました。三代目、佐藤昇平は苦悩の末、自社の主力商品をガスストーブに切り替えることを決断します。若い技術陣の努力が実を結び、開発したガスストーブは大ヒット。以後、専門メーカーとして、会社の躍進は続きます。