その105.笑って許せぬにしひがし(2005.9.2)
|
◆驚いたね、しかし。プロ野球・巨人戦ナイターの8月の平均視聴率が7.2%で、集計開始以来の最低記録だというからたまげるよ。過去の巨人戦が、テレビ業界の絶対的なキラーコンテンツだった時代を知っている者にとっては、こりゃ到底信じられん話だわな。ところがこれは飽くまで東京の結果でな、大阪の集計を見るとありゃりゃ、阪神戦の視聴率は常時20%前後の高々度飛行。大阪人の三種の神器「阪神」「お笑い」「たこ焼き」は、何が変わろうとやっぱり永久に不滅ってことじゃね。それにしても同じナイター中継でありながら、東京と大阪でこうも視聴率に差があるってのは、前代未聞の話じゃないの。
と思っていたら、大事な番組をもう一つ忘れておったよ。それは、大阪の朝日放送制作の長寿番組「探偵!ナイトスクープ」。実はわしこれの大ファンなんじゃがね、大阪では毎週金曜夜の11時台に放送され、嬉しいことにやはり阪神戦並みの高視聴率を稼いでおる。ところがこの番組、東京ではまるで人気が出ず、深夜の3時台に細々と放送されておったが、ついには打ち切りと相成ってしまったな。いったいこんな面白い番組が、どうしてこうも東京と大阪で評価が分かれるのか、キミも不思議だとは思わんかね。
◆まあ、嗜好の違いと言ってしまえばそれまでじゃが、やはり「笑い」に関して東京・大阪間には、はっきりとした距離があるようじゃな。例えば“本場”を自認する大阪の漫才師が東京に進出し、コテコテしたアクの強さで一時的に人気は出たものの、すぐに飽きられていつの間にか逆戻りというのはよくあるパターンだし、粋でさっぱりした芸風が売り物の東京の大師匠が、大阪公演ではまるで受けなかったという話も聞いたことがあるな。
早い話が落語家に例えると、ひびの入った丼鉢に熱いレバニラ炒めを山盛りにし、ゴマ油とラー油をたっぷり掛けて、さあ食えやれ食えと勧めるのが大阪(イメージは故・笑福亭松鶴師匠)。東京(イメージは故・三遊亭円生師匠)なら、使い込んだ古伊万里の皿に見事な出汁巻き卵を三切れほど乗せ、添えた大根下ろしにちょっとだけ生醤油を垂らして、無言で差し出す感じかなあ。なに、分かったようでよく分からない? だからね、どちらもそれぞれに美味いけど、味はそうとうに違うってこと。もっとも、大阪の落語家でも桂米朝師匠のように、若い頃から端正で枯淡の味わいの人もいるから、一概には言えんけどな。
◆そういえばいつだったかなあ、大阪の名喜劇役者・藤山寛美の娘で、同じく舞台を中心に活躍している藤山直美が、東京のベテランコメディアンの堺正章と志村けんにインタビューしたテレビ番組が興味深かったね。対談はそれぞれ別の場所だったが、真剣な顔をして先輩から「笑いに対するポリシー」みたいなものを聞き出そうとする直美に対し、マチャアキも志村もそれぞれ困ったような顔をして笑っていたのが印象に残っておる。二人の顔には同じように、「そんなこと、ここで聞くなよ」と書いてあったな。
つまり、東京の堺正章と志村けんにあって、大阪の藤山直美になかったもの、それは「笑い」に対する含羞とでもいう奴じゃなかったのかな。テレビの前で大真面目な顔をして芸論を語るなんて、とても照れ臭くて野暮ったいこと一一。そんな東京のコメディアンらしい二人のスタンスに対し、芸のためなら何でも肥やしにしたろやないけという直美の、田舎臭いとも思えるほどの実直さが際立った対談ではあったよね、これ。どっちが正しいということではなく、東京と大阪の笑いの“質”の違いがそのとき、何となくわしにも分かったような気がしたよ。
◆振り返ってみれば「探偵!ナイトスクープ」では、大阪の街の通行人がインタビューのネタによく登場する。じゃが驚くのは、その誰もがもの怖じするどころか、自ら進んで「なんや、なにやってんの」とばかり、マイクとカメラに向かってアピールして来ること。この心臓の強さというか照れのなさは、東京の通行人ではまず考えられん話じゃな。それは言い換えれば、飾ることをしない“庶民の街”だからこその光景であり、そこにこの番組の持つ無邪気な面白さの秘密があるんじゃろう。
一方で東京の市民には、照れを知らない行為は“あつかましさ”にも映る。含羞があってこそ、人は美しく生きられるってことじゃろうか。こんな美意識の違いは、「商人の町・大坂」と「武士の町・江戸」という出自の違いから来ているのかも知れんが、いまのところ日本国民のスタンダードは幸いにも後者の方にありそうじゃな。いわば大阪の笑いは、国内的には特異な存在。だからこそコテコテのアクの強さは、際立った輝きを放っているのかも知れないね。そんなわけで、東京・大阪どちらの笑いも好きなわしは、腹の中で両者が混ざり合い化学変化でガスが発生して、こんなボテ腹になっちまったという訳さ。ゲフ〜!
|
|