その33.年の暮れには黄金伝説(2000.11.29)

もう師走かい。今年もあっという間に最後の月になってしまったな、あ〜あ。なんだかちっとも金の貯まらん今年だったが、来年もこんなもんかなあ。なんて、愚痴っぽくなってしまうのは、年のせいかな。昨日も晩酌のおつまみにカマボコでも切ろうと思ったら、ああ、これが金の延べ棒だったらなんてつい考えてしまったよ。馬鹿だね、わしも。“紀文”の刻印入りの金の延べ棒など、あるはずないんだけどさ。まあ、しょうがないから今日は金の話でもして、気持ちだけでもリッチになるか。
金と言えば“黄金の国ジパング”と呼ばれた日本じゃが、陸奥の国で天平勝宝元年(749)に砂金が発見されたときが、わが国の金の始まりとされておる。ヤッターと喜んだのは、ときの聖武天皇じゃった。なんたって、世の中の平和を祈願して世界最大の金銅仏を建立しようとしたのじゃが、困ったのは鍍金(金メッキ)用の金が不足していたこと。当時の金はすべて輸入だったからね。献上された国産初の金のお陰で大仏は無事、黄金色に完成した。これが奈良・東大寺の大仏じゃ。このとき使われた金は、1万436両と言われておるな。
この後わが国の金産出量は徐々に増え、奥州の藤原氏が築いた中尊寺金色堂を始めとする黄金文化や、室町時代に足利義満が造営した金閣寺など、黄金の国ジパングの伝説は、しだいに海を越えて海外にまで行き渡るようになった。鎌倉時代にわが国を襲った元寇は、元はと言えばフビライの耳に、この黄金伝説が届いたからとも言われておる。マルコ・ポーロの記した「東方見聞録」には、純金で敷き詰めた宮殿などの記述もあり、後の大航海時代のコロンブスたち船乗りに大きな影響を与えたね。ちがうちがう。あれは純金じゃなく、金箔の張りぼてだってーの。
戦国時代の日本は、金・銀山の開発競争の時代だったね。武田信玄も上杉謙信も織田信長も、みんな武器・弾薬の調達など軍資金として、争って黄金を求めたんじゃ。中でも武田氏の甲斐金山から産する甲州金は、よく知られておるね。この時代の金は貨幣の代わりだったが、しだいに権力者の富の象徴になって行く。豊臣秀吉の黄金の茶室は、成金趣味の最たるものじゃ。キラキラまぶしくて、中じゃお茶も飲めないぞきっと。その後、徳川家康の開いた江戸幕府は、全国の鉱山を直営にして生産を発展させたな。佐渡金山の産金量だけで41トンにのぼったと言うから、江戸時代の日本はまさに世界有数の黄金の国だったんだね。
金の元素記号はAu。黄金色に光る美しさ、時代を経ても変わらぬ輝きは、まさに金属の英雄じゃ。また、加工がしやすいのも魅力でな、薄くのばせば1gの金は富士山の高さと同じ3776mまで延びる。金箔の生産は金沢が有名だが、叩いて叩いてその薄さは1万分の1ミリまでにもなるそうじゃよ。そう言えば、金箔を振りかけた豪華料理なんかも、テレビで観たことあるな。食ったことはないけどさ。
と言うわけで、今夜はわしも金粉入りの日本酒でも飲んで、せめておなかの中を暖めるかな。なに、おかずは何にするかって? もちろん金山寺みそに決まっとる。