その45.ニオイます、この頃(2001.5.24)

なーんかこの頃、わしの館長室に妙な匂いが漂ってるんだよね。例えて言えば、古くなった魚の干物と獣の脂肪の混じったような、つまり動物の体臭のようなかすかな匂いが部屋中を覆ってるわけ。え、たまには風呂に入ったらどうだ? 違う違う、犯人はわしじゃない。お肌は毎日磨いておるよ、ちゃんと。
 匂いの元は館長室につるされた一着の革製のジャケットなんじゃ。羊皮のバックスキンでな、3月のある日、冬物一掃のバーゲンセールで見つけて、えらく安かったので衝動買いした代物じゃ。サイズもわしにぴったり。ただし、独特の羊の匂いがどうにもきついので、そのまま洋服ダンスに入れるわけにも行かず、こうして部屋の中につるして匂いが消えるのを待ってるというわけなのよ。あ〜、まいったね。
 
しかし、この羊皮の匂いがわしの過去の記憶を、いろいろと思い出させてもくれるな。思えばわしがまだ若かりし頃、博物館の調査の仕事で行ったウズベキスタン(当時はソ連・ウズベク共和国)のタシケントやサマルカンドといった街には、羊の匂いが満ち満ちておったよ。なんたってかの地は回教国。豚肉は御法度だから、食用の肉と言えばまず羊じゃったね。代表料理のシャシリクという串焼きやピラフの肉も、みーんなヒツジ。その他の料理やお菓子を揚げる油にも、なべて使われておったな。だから、ホテルも空港も街なかを歩いているときも、そこら中に独特の匂いがほんのり漂っているわけ。まあ、それがかの地の風土というわけじゃろうが、胃の弱い日本人にはけっこう気になるものかも知れんなあ。

もっとも、その土地独特の匂いは、どこの国にもあるもの。香港の空港に降りると、なんだかあの中華菓子に使われる香辛料の匂いを感じるし、パリの空港ではフランス人のワキガとそれを隠すための香水の混じったような匂いがしたもんじゃ。行ったことはないが、韓国の空港ならキムチの匂いを感じるかも知れんな。日本だっておなじこと。わしらは慣れてて気付かないが、初めて日本に来た外国人はやっぱり異文化のニオイを感じ取るはずじゃ。サッカー解説者のラモス瑠偉氏が言うとったが、彼がブラジルから初めて日本に来たときには、どこに行っても醤油の匂いとサカナの生臭さを感じたそうな。卵を食べてもサカナの匂いがしたと言うが、そう言えば養鶏場のニワトリの餌にも魚粉が入っておるわな。わしらの生活にはきっと、醤油とサカナの匂いが芯まで染み込んでいるんじゃね。
 
匂いは最初のカルチャーショックと言うが、それを感じる人間の生活や文化、記憶と深く関わっておるんじゃ。いわばアイデンティティの大きな要素。実は人間は匂いを鼻で嗅いだだけで判断しているのではなく、その匂いの記憶をたどることにより快・不快を感じているのだとか。例えば、わかさぎと茎ワカメを切って水に浸し濾過したものを与えたところ、「磯・海苔の匂い」と感じた人と「腐敗・下水の匂い」と感じた人に分かれた、というテスト結果があるそうじゃ。これは、回答者が海の近くで育った人とそうでない人との、環境の違いによるものだそうな。人間、イメージできないものには不快感を感じるわけだ。わしの好きな納豆の匂いもアメリカ人には、足の裏の腐ったものにしか思えないんだろうね、きっと。ま、ザマーミロだけどさ。
 なに、次の冬には羊皮のジャケットを着るのかって? もちろんじゃ。日本人には獣臭いと嫌われるかも知れんが、イランやパキスタンのお姉ちゃんには懐かしい匂いのはず。故国の香りのする男としてもてるかもな、フッフッフ。