その47.力道山と「プロレス=歌舞伎」論(2001.6.21)

やれやれ沖縄ではもう梅雨が明けたというのに、こちらは相変わらずはっきりしない空模様じゃね。水虫のキミは、靴の中がさぞ痒いんじゃないの。湿気の多いこの季節の日本は、やっぱり裸足で過ごすのが一番かも知れないな。
 しかし、そう言えば最近は裸足で闘う格闘技が人気じゃね。PRIDEの桜庭和志選手や藤田和之選手はいまや日本を代表するプロレスラーだし、K-1のトーナメントは日本や世界で熱く盛り上がっておる。お陰で旧来のプロレスはちょっぴり押され気味じゃが、力道山以来のプロレスファンのわしは、やっぱりびしっとシューズを履いたレスラーの姿に憧れるね。もっともプロレスの世界にも、裸足の名選手がいなかったわけじゃないんだ。懐かしいところで、“ユーゴの鷲”ラッキー・シモノビッチや、ロサンゼルスの“無冠の帝王”アントニオ・ロッカ、日本では腕カッポンの豊登が有名じゃったね。なに、そんな人、知らない? ああそう。

プロレスを日本に導入し開花させたのは、ご存知あの力道山じゃった。大相撲の関脇を廃業した後、ハワイからアメリカ本土に渡り、猛修行をつんで見事プロレスラーに変身したわけだ。黒いロングタイツにビルドアップされた上半身が、いやあ格好良かったね。戦後間もなくの日本で、アメリカの巨漢レスラーを空手チョップでなぎ倒す力道山の姿は、鬱屈した日本人の溜飲を大いに下げたものじゃ。ちなみに、黒いロングタイツはアメリカでは悪役レスラーのスタイルじゃが、日本では正義の味方・力道山のトレードマークだったな。あれは、太くて短い脚を少しでも長く見せようとする、苦心の策だったのかも知れないね。
 彼はまた強いだけではなく、プロデューサーとしても才能があった。来日した“銀髪の吸血鬼”フレッド・ブラッシーに、宣伝のためヤスリで歯を磨かせたのも、力道山のアイディアだったんだ。これ、本当は子供好きで心優しいブラッシーの、怖いイメージを強調するためだったとか。宣伝したり噛まれたり、とリキさんも大変だったんじゃねー。

そんな力道山があっけなく亡くなったのは、昭和38年のことじゃった。しかし、彼が残したプロレスの火は消えることはなかった。何と言っても、ジャイアント馬場とアントニオ猪木という二人の逸材を発掘し、育てたのが大きかったな。それに、ロープに飛んだり跳ねたりというだけのプロレスではなく、相撲から引き継いだ、激しい闘争心をベースにしたストロングスタイルを根付かせたことが、日本人の琴線に触れたんじゃね。伝統的に武道の盛んなわが国では、アメリカンスタイルのショーアップされたプロレスが馴染まないことを、リキさんは見抜いていたんじゃ。つまり、日本型のプロレスを発明したことこそ、力道山の最大の独創だったってことだな。他にも相撲界から、家族的な弟子育成法や付き人制度、栄養バランス抜群のチャンコ料理などを移入した。若手が育つわけじゃ。お陰で今では日本は元祖アメリカをしのいで、世界一プロレスの盛んな国になったというわけさ。

しかし近頃、プロレスラーは本当に強いのか、という疑念が巻き起こっておる。先にあげた真剣勝負のPRIDEやK-1の台頭で、プロレスはやはりショーではないかという見方が出てきたんだね。ここはやっぱり心あるプロレスラーが立ち上がり、他の格闘技の選手相手に実力を証明して欲しいものじゃな。
 わしの持論は「プロレス=歌舞伎」論じゃ。けれん味たっぷりの芝居もあれば唄も踊りもある歌舞伎じゃが、実は歌舞伎役者ほど鍛え抜かれた舞台俳優もいない。テレビ・映画からシリアスな新劇の舞台に、宝塚のパロディーまで、なんでも見事にやってのけるのが歌舞伎役者。その実力はまさに折り紙付きじゃ。ふだんはけれん味のある試合をしているプロレスラーも、ときには真剣勝負の他流試合で、鍛え抜かれたたその実力を見せつけて欲しい、というのがわしの希望なんだけどね。頼むよ、ホント。