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その60.お正月はワンハンドレッド・ポエムス(2001.12.21)
◆おお、気が付けば21世紀最初の年も、もうすぐ終わろうとしているな。まさしく、あっという間。2001年は「宇宙の旅」どころか「悪夢の旅」と言っても良いほど、暗いニュースが多かった。戦後最悪の不景気風に、アメリカを襲った同時多発テロ、おまけに狂牛病とくれば、もういいよー!と叫びたくもなるってもんじゃ。来年こそはスカッと明るく行きたいね、スカッと。
しかし、お正月くらいは日本人らしく心静かに初詣をし、たこ上げしたあとコマを回して遊びたいな。え、いまどきそんな奴はいない? それなら百人一首はどうじゃ。「春すぎて〜夏来にけらし〜白妙の〜」なーんて、家族や友達とワイワイ札を取り合うのも楽しいものじゃよ。だいいち、和歌とふれ合う機会なんて、一年中でこの時期くらいのもんじゃ。むかし新聞のコラムで読んだ話だが、ヨーロッパ某国の日本大使館で、正月に日本人の館員たちが百人一首をしていたところ、不思議に思った現地の職員が、何をしているのかと尋ねたんじゃと。で、1000年前の歌人達の歌の上の句を読み、下の句を取り合う遊びだと説明したら、何と文化的なゲームかと職員はいたく感心したそうな。そうじゃろう。なんたって文化的なんじゃよ、日本人は。
◆そもそも「小倉百人一首」は、鎌倉時代の代表的歌人・藤原定家が選んだと言われておる。名の由来は、定家の山荘が小倉山(京都・嵯峨)の麓にあり、その襖に百首の歌を書き付けたからだとも伝えられる。ホンマカイナ?と言う気もするが、収録された歌は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までと幅広く、各時代の秀歌が一人一首ずつほぼ年代順に配列されている。江戸時代の川柳に「智ではじめ 徳でおさめる小倉山」と言うのは、これを指してるわけじゃね。また、天智天皇の歌「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」から、「衣食住 第一番に定家入れ」という川柳もあるな。衣=衣、田=食、庵=住というこじつけらしいが、これじゃ天皇さまもしまいにゃ怒るよ。
ちなみに、アンパンの小豆あんのことを“小倉あん”と呼ぶのは、藤原忠平の歌「小倉山 峰の紅葉ばこころあらば 今ひとたびのみゆきまたなん」から来ている。粒あんを紅葉の鹿子模様にみたて、「今ひとたびの…」で、もう一度食べたいという意味をかけたのだとか。キミ、知ってた?
◆百人一首が現在のようなカルタ形式になり、庶民の間にまで普及したのは江戸時代のこと。アジアにカルタを持ち込んだのは、大航海時代のポルトガル人でな、日本にも16世紀の中頃に彼らによって伝えられたのさ。ポルトガル語の「カルタ(carta)」は、英語の「カード(card)」やドイツ語の「カルテ(karte)」と同じで、もともと「硬い紙」という意味なんじゃ。このカルタに日本古来の遊び「貝合せ」「貝覆い」などの要素が加わり、あの美しい絵入りの「百人一首」が生まれたと言うから、さすが日本人エライ。
遊び方にはいろいろあるが、ポピュラーなのが「散らし取り」。百枚の取り札をバラバラに広げてみんなで囲み、詠み手が詠んだ歌の札を取り合うお馴染みの遊びじゃね。これが「競技かるた」では、正座して1対1の真剣勝負となる。取り札の並べ方にも戦術があるというから、まるで将棋の対局と同じじゃ。他に「坊主めくり」なんて単純な分捕りゲームもあって、百人一首はけっこう楽しいカルタなんだ。このお正月、キミも何か面白い遊び方を考えてはどうかな?
◆と言うわけで、2001年の次はいよいよ2002年。まあ、当たり前なんだけどさ。つまりサッカーW杯の年だってこと。世界中から強敵と熱狂的ファンを迎えて、日本中が火の玉のように盛り上がれば、不景気風もどこかに吹っ飛ぶってわけじゃ。よーし、わしもガンバって2002年は、館長室のテレビの前でじっと寝っ転がるゾ。「物や思ふと人の問ふまで〜」じゃ。頼むよキミも!!
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