その62.海からの贈り物は要らない?(2002.1.27)

ひゃ〜、寒いね。春遠からじとは言うものの、まだまだ冷たい風が無情に吹き抜ける昨今の東京じゃ。北の海では、もう流氷が押し寄せているんじゃないのかな。そして新聞によると、南の海ではマッコウクジラが、なんと14 頭も打ち上げられたと言う話だよ。同じ日本列島でも、北と南ではずいぶん様子が違うもんじゃね。
 クジラが打ち上げられたのは鹿児島県大浦町の小湊海岸でな、1月22日の朝のこと。14 頭のうち1頭は人間の救出作業の結果、無事海に帰ったんじゃが、残りの13頭は死んじゃったというわけさ。まあ、可哀想といえば可哀想だが、これは誰が悪いわけでもない。言ってみれば自然の摂理というやつで、ゾウが自分で泥沼にはまって死ぬのと同じことだね。テレビのニュースキャスターなどが、ことさら深刻そうな顔で救出作業を報じているのを見ると、わしなんか可笑しくなってしまう。自分だって子供の頃は、クジラの肉を食べてた癖にってな。日本のマスコミがクジラ愛護の姿勢を取ってみせるのは、どこか外国向けのにわかポーズに見えて仕方がないよ。なーんか、偽善的だね。

今回の打ち上げられたクジラは、昔なら海からの贈り物として食用にされたことじゃろう。なんたって14 頭分の鯨肉じゃ、これは超に超がつく大漁だよ。現に今度も「食べられないの?」という問い合わせが、町役場にたくさん寄せられたそうな。今回は、死因が不明のため伝染病や食中毒の可能性がある、として水産庁の指導で食べないことにしたんじゃが、わしら鯨肉で育った世代には、なんかもったいない気がしてしょうがないんだよね。
 わしなんか昔から鯨肉の刺身が大好きでな、夏などに解けかかった冷凍肉をわさび醤油で食べると、ホントとろける味がしたもんじゃ。それからベーコンや竜田揚げ、そうそう酢味噌で食べるオバ鯨というのもあったね。豚肉や牛肉とは全然違う、海の香りのする動物の肉とでもいうのかな。少し独特の匂いがあるが、鯨肉はある世代までの日本人には、こたえられない郷愁の味じゃよ。

もともと日本人は先史時代から、浜に打ち上げられたクジラを食用にしてきた。手投げ銛などで小型のクジラを捕獲するようになったのは、縄文時代からだと言われておる。以来、鯨肉は日本人にとり重要なタンパク源として、食文化の一端を支えてきた。それだけではない。鯨油は稲の害虫除けに、ヒゲは細工物のバネに、油を取った後の煎粕や骨粉も肥料となり、残すところがないほど利用されてきたんじゃね。だからクジラは捕鯨地の神社に祭られ、寺で供養されても来たわけだ。ナマンダブ、ナマンダブ。
 このクジラが、IWC(国際捕鯨委員会)の商業捕鯨を禁止する決議(モラトリアム決議)により、1986年から捕れなくなってしまったね。乱獲からクジラを守るためと言うのがその理由じゃが、決議決定を強力に推し進めたのがアメリカだった。しかし元はと言えば、鯨油をとるためだけにさんざんクジラを乱獲してきたのは、アメリカではなかったのかな? 鯨肉を食べる文化のないアメリカ人に鯨肉を食うなと言われては、なんだか日本人として釈然としないんだよなー。欧米人に犬の肉を食うなと言われて怒る、韓国人の気持ちが分かるような気がするよ、わし。

まあ、今さらわしらもそれほどクジラを食いたとは思わんが、ことさら特別な生き物として神聖視する必要もないんじゃないかな。増えすぎたときには適度に捕獲して、食料にすればいいんじゃ。良質のタンパク質はむろんのこと、鉄分は牛肉の4倍、コレステロールは逆にその6割。さらにEPAやDHAも豊富で、汚染物質の含有量は極めて少ない、というのが鯨肉の魅力じゃよ。おまけに美味だしさ。
 いずれ将来、地球の人口が過剰気味になり、食糧危機の問題がクローズアップされるときがくる。クジラはそのとき、貴重なタンパク源として再び脚光を浴びるんじゃないのかな。わしはそんな気がするよ。なんたって、人間ほど身勝手な生き物はいないからね。な、キミもそうじゃろ?