その67.懐かしきメリケン粉の香り(2002.4.15)

いやはや、外はすっかり新緑の季節、さわやかな風が吹き渡っておるなあ。街を歩く女の子の服装ももだんだん明るい色になってきて、こりゃまた結構なことじゃ。しかし、今日のわしは胃袋の具合がちょっと重いのよ。つまり胃もたれ…。なに、水銀でも飲んだのかって? 誰が飲むんじゃ、そんなもの。
 実は昨日、昔からの仲間が久しぶりに友人の家に集まってな、お好み焼きパーティーを催したんじゃ。で、これがけっこう美味くて、わしも焼きたての熱い奴を頬張りながら、ぐいぐい飲んだというわけ。だけど、これって食べ過ぎると翌日胃に来るんだよね〜。なんたって油を吸い込んだメリケン粉を、たらふく食べるわけだからさ。お陰で今日は、ちょっとだけお腹の皮が膨張気味ってこと。え、メリケン粉って何かって? いや、つまり小麦粉のことだけど、まあうどん粉とも言うわな。聞いたことないかな〜。

わしの子供の時分には、小麦粉のことをメリケン粉と呼んでおった。お袋の命令で近所の店で買ってきたときも、袋には確かに「メリケン粉」と書いてあった記憶があるぞ。いつからこの名称が「小麦粉」に変わったのかは知らんが、わしには何の相談もなかったな。もともと、この「メリケン」という言葉は、英語の「american」から来ている。つまり、アメリカンが訛ってメリケンになったと言うわけさ。明治の初期、パン用などにアメリカから輸入されたので、そう呼ばれるようになったという話じゃ。
 そう言えば、お好み焼きの本場として名高い広島とメリケン粉との関係も、興味深いものがある。昭和20年の原爆で焼け野原になった広島だが、戦後、食料難を救うため配給されたのが、進駐軍のアメリカ産小麦粉じゃった。この貴重なメリケン粉を利用して、屋台で生まれ広がったのが、広島風お好み焼きのルーツだと言われておる。なるほどね、そうだったのかい。だから、あんな薄く延ばして使うのか…なーんて、納得が行ったかなキミも。

もう一つ、メリケンの付く有名な物に「メリケン波止場」がある。♪窓を開ければ〜港が見える〜、と「別れのブルース」で淡谷のり子が歌ったのが、メリケン波止場じゃね。これは昭和12年に作られた古い歌謡曲でな、発売後しばらくして満州の日本兵の間から火がつき、やがて日本中で大ヒットしたという歌なんじゃ。神戸にあるメリケン波止場は、明治政府によって1868年(明治元年)につくられたもので、当時この波止場のすぐ北側にアメリカ領事館があったことから、そう名付けられたんじゃと。だからここが歌の舞台かと思いきや、そうじゃあない。実は、作詞・藤浦洸、作曲・服部良一の両大家が、横浜の本牧で曲想を得たというから分からんもんじゃ。まあでも「メリケン波止場」って名前には、何かエキゾチックな響きを感じるよね。
 他には、「メリケンサック」なんて危険なケンカの道具もある。これは拳骨に巻く金属製の凶器でな、いかにもアメリカの不良が使いそうなモノじゃな。それから「メリケンカルカヤ」なんて、渡来植物もあるぞ。これも戦後、アメリカからやってきて全国的に広がった、イネ科の多年草なんじゃ。

「メリケン○○」って名前は、きっとアメリカからの渡来物が珍しかった時代の名残なんだろうね。なんか、当時の日本人の目を通してみたアメリカの姿が、かいま見えるような気がするよ。近頃みたいに、身の周りにアメリカ文化が溢れている時代には、逆にノスタルジックな響きさえ感じさせてくれるから、皮肉と言えば皮肉じゃな。「丹下左膳」を生み出した小説家・林不忘は、また谷譲次のペンネームで「めりけんじゃっぷ」ものと言われる小説を書いておる。これは、自身のアメリカ放浪体験を元にした話でな、20世紀初頭のかの地の風俗を活写したもの。日本人から見た、アメリカ人への批評の眼も厳しいよ。アメリカのもの何でもOKという風潮の現代日本じゃが、こういった批評眼だけはわしらも忘れないようにしたいね。
 と言うわけで、わしはこれからメリケン粉でクッキーでも作って、食べることにするかな。飲み物は砂糖を入れないメリケン…いや〜、こればっかりはアメリカンと言っとこう。キミもどう?