|
|
|

   


その74.オリジナルへの不思議な旅(2002.10.30)

ハックショイ、ブルブル。何だか急に寒くなっちまったよ。今年は春も夏も例年より異常に早かったけど、このまんま冬も早足でやって来るのかなあ。どうも忙しなくていかん。なに、早いとこ冬物のセーターなんか用意した方がいい? わかっとる。もうとっくにパッチも穿いてます。
 しかし、最近はゆっくり映画を見る余裕がなくて困るね。人間、余裕がないのがいちばん悲しい。金があるときゃヒマがない、ヒマがあるときゃ金がないってね。わしがいま見たい映画は、11月に封切られるアメリカ映画の「ザ・リング」。これは日本で大ヒットした鈴木光司原作のホラー映画、「リング」のリメイク版じゃ。なんたって、日本映画がそのまんまのストーリーでハリウッド映画になるんだから、まるで黒澤明監督の「七人の侍」だね。え、オリジナルの日本版は見たのかって? 実はまだなんじゃ。わしはどうも、リメイク版を先に見たあとオリジナル版を見て、しみじみ感動するのが好きなのよ。変かな〜? まあこれは、アメリカやヨーロッパ文化のコピーを見て育った、わしら戦後世代のちょっといびつな習性かも知れんな。

どういうことかと言うと、例えば、人気絶頂を誇ったコント55号の欽ちゃん。若い頃の彼の歩き方は特徴的でな、ちょっと腰を落とし極度の大股でセカセカと歩き回る姿は、舞台に出てくるだけで大爆笑だったね。欽ちゃんのトレードマークといっても良かった。じゃが後年、アメリカのマルクス兄弟の古い喜劇映画に出会ったとき、わしの目は皿のようになったな。そこに出てきたグルーチョ・マルクスの歩き方は、まさに欽ちゃんそのものだったからさ。いやもちろん、オリジナルはグルーチョの方だったんだけどね。
 かつてテレビの司会者として活躍した、三木鮎郎氏もそう。TBSの「歌謡ベストテン」なんかで見せた、颯爽とした司会ぶりはいまも記憶に残っておる。オールバックの髪にタキシード、ニコリともせずまるでカメラをにらみ付けるように話すそのスタイルは、独特のダンディズムと言ってよかった。しかしこれも後年、NHKが放送したアメリカの古い音楽番組「エド・サリバン・ショー」で、その原型を知ることになる。三木鮎郎はエド・サリバンにそっくりだったんじゃ。

考えてみれば、わしらは子供の頃からこんな体験を続けてきた。小学生の頃にわしが愛読していた月刊誌「少年」には、手塚治虫や横山光輝、藤子不二雄といった若きマンガ家たちが腕を振るっていたな。彼等の描く作品の中には、思えば映画のエッセンスが詰まっとったよ。例えば、手塚の「鉄腕アトム」や横山の「鉄人28号」には、たびたび地下の下水道での追跡や闘いのシーンが出てきたもんじゃが、これはまさにキャロル・リード監督「第三の男」の有名な場面。また、どの作品かは忘れたが、ディック・ポウェル監督の名作「眼下の敵」そっくりに、駆逐艦と潜水艦が死闘を繰り広げるマンガなどもあったな。もちろん、これらのオリジナル映画の存在を知ったのは、わしが大人になってからの話じゃがね。
 なんてえか、そのときの不思議な懐かしさ。おお〜、ルーツはこれだったのかという妙な感動…。まるで自分の故郷によく似た風景を見付けたような、デジャ・ヴュ体験とでも言うのかな。わけの分からない快感じゃったね、あれは。分かるかな、分かんねえだろうな〜?

そんなわけで、リメイク版からオリジナル版をたどるわしの感動の旅は、やめられないのさ。いわば“ふるさと探し”の旅。まして、「ザ・リング」みたいに日本の作品をベースにした外国製リメイクは、ぜったい見逃せないね。一つはまあ、日本人としての自尊心をくすぐられるのと、もう一つはそこに彼等外国人の目を通してみた日本てものが、透けて見えるから。そう言う意味じゃ、クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒」と三船敏郎の「用心棒」は、どっちも興味深い映画だよ。
 しかし、わしはそういった“そっくりさん”を馬鹿にする気はない。むしろその逆でな、リメイクやコピーをしながら何とか換骨奪胎して、オリジナルと違う自分なりのものを生み出そうとする人たちの努力に感動するんじゃ。原作への尊敬なくして、リメイクはないもんなあ。だから、あの「欽ちゃんジャンプ」もきっと、彼のグルーチョへの尊敬から生まれたんだね。そう思わんかい? だからってキミ、そこで急に跳んでみせなくてもいいよ…。