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その81.君知るや、はるか西方の友(2003.5.28)
♪夏が来〜れば思い出す〜、か。いやあ早いもんじゃねえ、あのサッカーW杯の開幕からもう一年。去年の今頃の熱〜い興奮が、なんだか甦って来るようじゃね。日の丸の旗が日本中で揺れ、日本代表の青いユニホームが街にあふれてさ。そういえば大分県の中津江村は、いまどうなったのかな。相変わらず、村の人たちは夜更かししてるのかな?
 ところで先日、館長室でわしがテレビを見ておったときのこと。あのときトルコ代表選手として活躍したイルハン選手が、なんとCMに出て来たんでビックリじゃ。料理の鉄人・道場六三郎と並んで「トルコ風白ごまプリン」をPRしておったが、ベッカム選手やカーン選手ならいざ知らず、トルコ人選手の出演とは珍しいね。なに、イルハン選手は甘いマスクで日本の若い女の子に大人気? それ、ほんとかい? あの無精ヒゲ生やした空きっ歯兄ちゃんの、どこがそんなにいいのかな。

もっとも、聞くところによると今年・2003年は「日本におけるトルコ年」だとかで、トルコを日本に紹介するイベントが各地で予定されているらしい。わしなんかトルコと聞いて思い浮かべるのは、トルコ行進曲とユセフ・トルコかなあ。なんたってモーツァルトのトルコ行進曲は、わしが中学生の時、掃除の時間にいつも教室のスピーカーから流れておった。お陰で今でもあの忙しない曲を聴くと、ついホウキを持ってウロウロしてしまうんじゃ。え、ユセフ・トルコって何ですか? キミには教えてあげないよ。
 ともかく、多くの日本人にとってトルコは、どこか遠くの神秘的な国くらいの認識しかないんじゃないかな。じゃが調べてみると、トルコって国は恐ろしく長い歴史と豊かな文化を持っておる。何と言うてもシュリーマンが発掘した「トロイの木馬」の舞台であり、かのイスタンブールはかつて東ローマ帝国の都として栄えたコンスタンチノープルだもんな。おまけにこの国は、大変な親日国でもあるんじゃと。え、知らなかった? まあ無理もないよ。実はこれには深〜いわけがあるらしい。

こんなエピソードをみんなは知ってるかな? ときは明治23年(1890)9月のこと、日本訪問の使命を果たし帰国途中のオスマン・トルコの軍艦エルトゥールル号が、和歌山県大島の樫野崎沖で台風に遭遇。使節団650人もろとも、船が沈没するという大惨事となった。このとき、地元大島の人々が懸命に救助作業を行い、587人が亡くなったものの69人の命が助かったんじゃ。日本政府も明治天皇の命を受け、生存者の介助や犠牲者の遺体収容など手厚くこれに当たり、救助された69人は無事、軍艦「比叡」「金剛」でトルコに送還された。さらには日本全国から集められた弔慰金が、トルコの遭難者家族に届けられたという…。
 悲劇だがええ話じゃないか。トルコ人ならずとも、これには感激するわな。このエルトゥールル号遭難事故はトルコの歴史教科書に掲載され、イスタンブールの海軍博物館には、今も同艦の遺品や日本で作られた追悼歌の楽譜などが展示されているらしい。トルコ人が親日的になったのは、これがきっかけだと言われておる。
 さらには、明治37〜38年(1904〜05)の日露戦争で、トルコの怨敵ロシアを日本がうち破ったことも、大きな要因じゃろうよ。アジア大陸の西と東の端で、それぞれ大国ロシアの脅威に怯えていた者どうし、相通じるものがあったんだろうね。サムライ達よ良くぞやったとな。こんなわけで、日本人は知らないがトルコの人たちは、我々にずっとシンパシーを感じて来たらしい。
 
さて話変わって1985年、ところは中東。長引くイラン・イラク戦争に業を煮やしたイラクのフセイン大統領は、ついに「今から40時間後にイランの上空を飛行する航空機は、どこの国のものであれ撃墜する」と発表した。えらいことじゃ。テヘラン空港はたちまち、帰国しようとする外国人であふれ返ったね。世界各国も、急いで自国民救出のため救援機を飛ばしたよ。こんな中、足止めを食ったのが日本人。民間機のチケットはとれないし、日本政府は例によりモタモタして救援機も飛ばせない。誰もがパニックに陥りそうになった。このとき危険を冒し、押っ取り刀で飛んで来たのがトルコ航空機じゃった。日本人216名を乗せ無事、成田まで送り届けてくれたというわけさ。トルコはエルトゥールル号の恩義を忘れていなかったんだね。ありがとう、トルコ! 三波春夫先生の歌謡浪曲みたいな、ええ話じゃないか。
 そんなわけでわしら日本人も、もう少しトルコのことを勉強した方がいいかも知れんなあ。困ったときの友が真の友と言うだろう。どう、キミもいっぺん「トルコ風白ごまプリン」を試してみっか?