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その93.聖火燃える日、人も熱く燃える(2004.6.10)
関東地方が梅雨入りした6月6日、シトシト雨が降る東京の街をアテネオリンピックの聖火が走ったね。なんたって夏季五輪の聖火が国内を走るのは、東京オリンピック以来40年ぶりのこと。これを見逃したらえらいこっちゃ。さっそくわしも押っ取り刀で雨の中、近くの駒形橋へと駆け付けたってわけ。で、傘の中で待つこと約30分。パトカーやギリシャ人らしい外国人が乗る数台の広報車の後、やっと聖火ランナーが現れた。
 まあ、わしはてっきり卓球少女・愛ちゃんか、浦和レッズの若武者・田中達也選手が、さっそうと走ってくるのかと思っていたんじゃがねえ。集まった他の見物人たちも、誰か有名人の姿を見たいという期待を胸に抱いていたはずじゃ。何というのか、そのときの拍子抜けした気分…。見たこともない普通のオバサンが、手を振りながら駆け去った後は、何だか空しいような恨めしいような空気が、沿道周辺を覆っていたっけ。人生ってこんなものと人が感じるのは、こういう瞬間かも知れんなあ。

しかし思い起こせば40年前、東京オリンピックの聖火を見つめる人々の熱気は、こんなもんじゃなかったな。敗戦から復興し、ようやく高度経済成長期に差しかかった日本は、国全体がまるで世界ランク入りを目指す飢えたボクサー。オリンピックは、その檜舞台だったってわけさ。道路を造りビルをおっ建て、おまけに美人のコンパニオンまで揃えて、世界中に「先進国・日本」をアピールしようとしていた。テレビでは桂小金治司会による「地上最大のクイズ」なんてのがあってな、アテネから東京まで各都市の聖火リレーになぞらえたクイズ番組じゃったが、全問正解者には100万円という、当時としては目の玉の飛び出るような賞金が用意されとったよ。
 そんなわけで日本の各地を走った聖火は、至るところで熱狂的な歓迎を受けたもんじゃ。もちろん田舎の可愛い中学生だったわしらも動員されて、沿道に並んだのを覚えておるよ。ただしあまりの混雑で、わしには人垣の上の煙しか見えなかったけどなあ。その頃作られた市川崑監督の映画「東京オリンピック」には、こんな聖火を迎える当時の日本の風景が見事に活写されておるよ。

思えば、ギリシャのオリンピアで採火した聖火を、ランナーたちのリレーで開催国の競技場まで運ぶなんて、なんとも壮大で芝居がかった演出じゃね。開会式のセレモニーで最終ランナーが聖火台に点火するとき、場内はクライマックスを迎えるって寸法さ。この良くできたドラマが最初に上演されたのは、実はあのヒトラー指揮下のドイツで行われた、1936年のベルリンオリンピックのとき。言われてみればこれ、パフォーマンスが得意だったヒトラーらしい演出とも思えるわな。
 女流監督レニ・リーフェンシュタールが撮った、このときの記録映画「民族の祭典」のプロローグには、ギリシャの遺跡から聖火をリレーする若者たちの姿が幻想的に描かれておる。この映画の最も美しい場面の一つでもあるな。ヒトラーの思惑はいろいろあったんだろうが、若者たちのトーチで聖なる火を次々に繋ぐというこのアイディア、結果として大当たりだったんじゃ。つまり、世界中の人々の感動を呼んだってわけ。それ以来、オリンピアから開催地へ聖火を運ぶ儀式は、各大会の恒例となっておる。まあ「虎は死んでも皮残す」というが、世紀の悪役ヒトラーは滅んでも聖火リレーを残した、ということじゃな。人間、一つくらいは良いことをして死にたいね。

ところで、リレーの途中で聖火が消えた場合は、どうするんじゃろ。なに、先導のお巡りさんが100円ライターでパチッと? まあそんなことはないだろうが、ちょっと気になるね。でもご安心あれ! ちゃ〜んとこんなときのため、予備の種火を伴走させているそうじゃ。リレーの途中で聖火が消えることは、けっこう多いんだとさ。備えあれば憂いなしじゃな。ちなみに、東京オリンピックや長野冬季オリンピックの聖火リレーのとき、種火の輸送に活躍したのがあの「ハクキンカイロ」だったとは、意外なトリビアだね。ハクキンさん、もっと宣伝した方がいいんじゃないの。
 ともあれ、アテネオリンピックの開会式は8月13日。もうすぐ胸躍る夏がやって来る。わしの期待はサッカーの男女代表チームと、マラソンの女子三人組じゃが、燃える聖火の下でみんなぞんぶんに実力を発揮して貰いたいもんだね。それまでに館長室の壊れたクーラー、何とかせにゃいかんなあ。