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その99.永遠の悪役、その人の名は…(2004.12.11)
しかし暖かいねえ、今年の冬は──。雪も降らなきゃ、霰(あられ)も降らぬ。“♪北風吹き抜く〜、寒い〜朝も〜”なんてその昔、映画の中で吉永小百合ちゃんが歌ったような、冷たい木枯らしの吹く朝もあまりない。なんだかポカポカした、小春日和の穏やかな日が続くばかりじゃ。まあ、お陰で灯油代の高い昨今、ストーブの燃料費が節約できて、助かることは助かるけどね。なに、「ストーブの博物館」館長が人ごとみたいに言うな? そうなんだよなあ、当事者意識のないのが、わしみたいなインテリの欠点なんだよなあ。
 ところでこの季節、テレビの恒例番組といえば「忠臣蔵」もののドラマじゃね。新作に旧作から懐かしの名作映画まで、毎週のようにどこかの局で放映しておる。わしなんかも、ストーリーが分かっているのについ引き込まれ、何となく最後まで見てしまうんだよな。さっきもBSで長谷川一夫主演の古い大映映画をやっておったが、気が付けば頬を流れる滂沱の涙。いや〜、泣けたね。付け睫毛バッチリのお涙頂戴通俗ドラマと思いつつ、見終わった後にカタルシスを覚えるのは、やっぱりわしが日本人という証拠なのかなあ…。

この事件が実際に起きたのは、元禄15年(1702)12月15日早暁のこと。播州赤穂藩の浪士47人が、本所松坂町にある吉良邸に討ち入って、主人の上野介義央の首を取ったというから、さあ大変。寝込みを襲われた吉良側の死者は他に16人、負傷者は約30人にも及び、太平の世を揺るがす大ニュースとなったな。スポーツ新聞の見出し風に書けば、「赤穂浪士、暁の奇襲/怨敵・吉良の首を執念のゲット!」なんてことになるのかな。まあ寒くて暗い中、熟睡してるところをいきなり斬り込まれたら、吉良方もたまったもんじゃないだろうけどさ。
 事件の発端となった、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩と吉良上野介の諍いの原因については、実のところあまりハッキリしないんじゃ。内匠頭の「乱心」説と「遺恨」説の二つがあるが、いずれにしろ勅使接待という大役の公務中、この殿様がプッツンして、江戸城松之廊下で上野介に斬り掛かったのは間違いない。いったい、何があったんだろうね。ただし、その真相を究明しないまま、一方的に浅野だけを切腹させたところが、幕府の最大の失策だったというわけさ。もう一方の吉良については、ノープロブレムで済ませてしまったもんだから、疑念は深まるばかり。大石内蔵助率いる赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのも、こうした幕府の裁定に対する抗議の意味が強かったんだろうな。

とはいえ、現在われわれがテレビや映画で見る「忠臣蔵」は、後世の作家たちの手によりずいぶんと脚色されておる。中でも大きな影響を与えたのが、寛延元年(1748)大坂で人形浄瑠璃として初演され、後に歌舞伎化される「仮名手本忠臣蔵」じゃ。これは、竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作でな、時代設定を室町時代に置き換えたもの。なんたって討ち入りから47年目の初演で、タイトルがいろは47文字になぞらえ「仮名手本」というわけだから凝ってるね。「忠臣蔵」とは、忠臣がいっぱい入った蔵という意味だそうじゃ。むろん、大石内蔵助の名前をダブらせてある。
 この芝居、悲劇の主君・塩冶判官が浅野内匠頭、憎い仇役・高師直が吉良上野介、忠義の臣・大星由良助が大石内蔵助と、登場者が実在の人物と重ねられるように出来ており、あからさまにお上の批判が出来ない庶民にとって、溜飲を下げるにはもってこいの仇討ち物語だったんじゃろうな。おまけに中身が、恋あり殺人あり因縁話ありと、縦糸横糸が入り乱れるみごとなまでの面白ドラマ。民衆の心をつかんだこの大ヒット芝居が、やがて広く人口に膾炙し、フィクションと史実がだんだんごちゃ混ぜになって行った、というわけさ。だから、浅野内匠頭がわしのようなハンサムなジェントルマンで、吉良上野介がキミのような意地悪強欲野郎だったかどうか、本当のところはよく分からないってこと。

まあ、この事件でいちばん可哀想なのは、やっぱり吉良上野介じゃないのかな。何といってもこの復讐ドラマが、最後にめでたしめでたしで終わるには、仇が希代のヒールでなくてはならんわな。事実とは別のところで、毎年この季節になるとその役を背負わされ、三百年この方、日本中の恨みを買わなければならんとは、吉良さんもまったく損な役回りだよね。芝居の作者も罪なことをするもんじゃ。
 え、吉良という名前の印象が良くない? そういえばキラー・コワルスキーなんて、悪役レスラーもいたからな。悪役がベビーフェイスに転向するには、やっぱり名前を変えてマスクでも被らんとダメかなあ。