佐藤暖房機の創業者佐藤松市は、明治6年2月、
北海道の日高に生まれました。父の佐藤久平は、
もと仙台藩白石領主の片倉家に仕えた士族でしたが、明治維新により禄を失い、新天地を求めて家族を引き連れ、北海道の開拓移民団に加わったものでした。
当時の北海道は道路もない未開の原野で、開拓移民の苦労は大変なものでした。松市の一家も例外ではなく、両親や6人の子供たちが力を合わせ、
朝から晩まで働いても、その暮らしは貧窮から抜け出せなかったようです。
末っ子だった松市は、15歳のとき決心をして東京を目指します。何としてでも、自分の働きで家族の生活を楽にしたい、という一心でした。
「必ず成功して、帰ってくるから」
駅まで見送りにきた両親に向かい、松市少年がそう言うと、父の久平はただ一言、
「人間到る処青山有り」
という漢詩の一節を贈るのでした。その言葉が、
松市の生涯の座右の銘になったのです。