北海道日高の貧しい開拓農家である松市一家にとり、冬の寒さは何よりも耐え難いものでした。粗末な板張りの小屋は隙間風が吹き抜け、湯飲みの水が朝には凍る始末。その中で、冷たい布団を差し掛け、一晩中、幼い自分を抱いてくれた母の手の温もりを、松市は終生忘れませんでした。
彼が行火作りに情熱を燃やすようになったのも、その頃の記憶が、強く心に刻まれていたからなのです。いつか自分の手で、母の手を暖めてあげたい。その願いが実を結び、初めての製品「新生」が完成したのは、明治36年のことでした。松市はその第1号を、故郷の母ケサに贈りました。
「これで、もういつ死んでもええ」
よほど嬉しかったのでしょう。ケサは、息子から送られた行火と手紙に向かい手を合わせ、そうつぶやいたと伝えられています。
ケサが亡くなったのは、それから17年後の大正
9年、77歳のときでした。松市から贈られたそのときの行火は、神棚に上げられたまま、一度も
使われたことはなかったそうです。