日本の古い民家は大きく分けると、土間・居間・座敷の3つの空間から成立しています。昔の農家では、出入り口とつながった土間はわら仕事などの作業場であり、座敷は冠婚葬祭か大切なお客をもてなす場として、めったに使われることはありませんでした。そこで、生活の中心となったのが、炉の切ってある居間でした。
 炉は、縄文や弥生時代の住居跡にもすでに見られ、煮炊きなどの炊事や暖房の道具として、また照明の役割も果たすなど、生活の中で重要な機能を担っていました。縄文時代の炉は、床を浅く掘り込んだだけの地床炉、その周りを石で囲う石囲炉、地床炉の中に甕を埋めた
埋甕炉などの形式があり、さらにそれらの複合型の炉も発見されています。弥生時代になると、地床炉のみになります。
 ただし、時代や東西の地域差により、内部に炉を持たない住居跡も多く、炊事は必ずしも屋内で行われたわけではなかったようです。
やがて、時代が下り住居が大きくなると、土間・居間・座敷などの機能が分化し、火を使う場所としての囲炉裏の他に竈(かまど)も登場しました。竈は元々、古墳時代に朝鮮半島から移入され、その後全国に普及したものです。現在では、地方によりへっついやくどとも呼ばれています。いずれも家中でもっとも神聖な場所とされ、小正月の行事では炉の灰の上でその年の収穫を占う地方も、少なくありません。
 かつては囲炉裏のある家では、食事の時は自在かぎに煮物の入った鍋を掛け、家族で囲んだものでした。食事が終われば鉄瓶で湯を沸かし、炉端でくつろぐのが常でした。お爺さんの昔話に孫たちがじっと聞き入る。そばで微笑みながら、夜なべ仕事をする父と母・・・今では何とも羨ましい、家族団らんの光景ですね。
囲炉裏を中心とした長い間の習慣から、家族の中でも炉端で座る位置が決まっているのが一般的だったようです。土間から向かって正面の席がヨコザと呼ばれ、その家の主人の座とされました。その反対に土間に近い席は薪を置く木尻と呼ばれ、使用人の座る所とされました。また、残る左右の席のうち座敷寄りの側が、タナモト、カカザ、チャニザと呼ばれる主婦の座。その向かい側が、客の座るオトコザ、ムコザでした。
 燃料の木や枝は、途切れることのないよう絶えず用意されていました。火の管理はおもに主婦の仕事で、火種は囲炉裏の灰に埋められ維持されました。
 また、囲炉裏から出る煙は家の中を漂った後、天井やつまの煙出しから抜ける様に出来ていますが、それが屋根材の藁・竹や梁などを黒く煤けさせ、結果として虫除けの効果を生んでいるのです。古い民家の黒い輝きは美しいだけでなく、実用の効果もあるんですね。