テレビにミカンに炬燵(こたつ)とくれば、日本の冬の三点セットですね。炬燵は炉の上に櫓(やぐら)をかけ布団で覆って暖をとるもので、他に火燵・火闥・火榻などと書きます。大きくは、掘り炬燵と置き炬燵の二種類に分かれます。
 掘り炬燵(切り炬燵)は、もともと囲炉裏の上に櫓を置き布団を掛けたもので、歴史は古く室町時代に登場しました。初めは、囲炉裏の火が「おき」になったときに上に櫓をかけ、紙子(かみこ)などをかぶせて、櫓に足をのせ暖めていたようです。江戸初期には御所の中などにも、掘り炬燵が設けられていました。大部屋用には、大炬燵という長方形の大きな炬燵もありました。これらの炬燵は床を掘り下げた炉の周囲を石で囲み、木製の炉縁を入れて格子組みの櫓をかけたもので、床面(畳)に腰掛けたところから腰掛け炬燵とも呼ばれました。元禄時代には一般にもかなり普及していたようで、大坂辺りでは既製品の炬燵櫓が売られています。
置き炬燵(岡炬燵)は火鉢と櫓を一体化して布団を掛けたもので、こちらは可動式が最大の長所でした。現代の電気炬燵はこの系譜ですね。置き炬燵が登場したのは、畳が一般に普及した江戸時代。土火鉢という瓦製の安物の火鉢を、初めは壊れやすいので木箱に入れて使っていたのですが、後に櫓に替えて布団をかけるようにしたものです。置き炬燵の一種には、櫓の代りに焼き物や石で囲った小型の行火(あんか)がありますが、これは別項でお話ししましょう。
 慶応3年(1867)、京都・近江屋で暗殺された坂本龍馬は、当日、風邪気味だったため、よく映画などでは炬燵に丸まっていますね。が、当時の武士は炬燵に近寄ることを、潔しとしない風習だったとか。また、武家の奥方が炬燵でうずくまることなど、もってのほかとされていたそうです。やっぱり町人と違い、武士は何事にもガマンをしたんですね。
炬燵が発達した裏には、木綿生産の伸展による木綿布団の普及と、木炭・炭団などの燃料生産の増大が、大きな要因としてありました。炭団(たどん)は木炭の粉を、ふのりなどで丸く固めたもの。庶民の燃料として近年まで活躍しました。しかし、炭火はおこすのに手間が掛かるうえ一酸化炭素中毒の危険もあり、昭和30年(1955)頃からは徐々に電気炬燵が主流になりました。
 炬燵は熱源を布団で覆うため熱効率が良く、日本人には心地よい暖房器具。が、部屋全体を暖める機能はなく、いったん足を入れるとなかなか抜け出せなくなりがちですね。これは、日本の住まいが伝統的に全室暖房に向いていないことや、そのための十分な燃料がなかったことなども要因でした。また、質素・倹約を美徳とした暮らしぶりにも、一因があったようです。小さな部屋で家族が身を寄せ合う炬燵は、昔から日本の都市の家庭に相応しい暖房器具だったのかも知れません。